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五島・稲庭・讃岐 三大うどん比較と「五島饂飩の歴史」

新上五島町 あミーご
「日本三大うどん」の比較と「五島手延べうどんの歴史」をご紹介します。
日本三大うどんは、①稲庭うどん(秋田県稲川町)②讃岐うどん(香川県)③五島うどん(長崎県五島列島)④水沢うどん(群馬県渋川市)⑤きしめん(愛知県名古屋市) の中で意見が分かれるようです。
日本三大うどんは、「歴史が古い」からとか「手延べうどんのルーツ」などが、しばしば根拠とされています。それぞれの「うどん」に特徴があるので、結局優劣や生産量ではなく「どれが一番好きか」ということになるのかもしれません。
食感は、食べていただかないと文字では表現が難しいのですが、一般的に「三大うどん」と呼ばれている、「五島うどん」や「稲庭うどん」、「讃岐うどん」の比較表を作成してみました。
摘要 五島うどん 稲庭うどん 讃岐うどん
産地 長崎県新上五島町
(五島列島)
秋田県湯沢市
稲庭町
香川県高松市
満濃町
形状 丸く細い 平べったい 切麺(太い)
製法 手延べ 手延べ 手打ち
打ち粉 食用油(椿油) でんぷん  
食感 ぷるんとした食感と麺自体が持つ風味 滑らか シコシコ感
歴史 遣唐使時代
(773年~838年)頃
江戸時代(寛文)
(1661年~1672年頃)
江戸時代(元禄)
(1668年~1703年頃)
伝来 数多くの伝承が残っており、起源はさだかではありませんが中国大陸から伝わったことは間違いがないようです。五島列島は、その昔遣唐使の寄港地で、東西文化の中継点でもあったようです。 寛文5年(1665)に、佐藤吉左衛門(後に稲庭姓を名乗る)が稲庭干しうどんの製造を始めています。この時期の中心は江戸に移り、江戸はもちろん街道筋にもうどん店が開かれています。「間もなく秋田藩主の御用品となり、文政12年(1829)には御用麺以外に「稲庭」の名称を使ってはならぬというお達しがありました。(『稲庭うどん物語』) 「うどんは、お大師様(弘法大師)が唐から伝えた」という言い伝えが、遍路で弘法大師に親しむ香川県ではよく語られています。この話は讃岐うどんに関するWEBページや県内のうどん屋の内装、広告などに頻繁に表現されていますが、明確な根拠はないようです。
代表的な
レシピ
【地獄炊き】
【二味天せいろ】
【かけうどん】
産直サイト
紹介

五島マルマス

五島うどんのレシピや製造工程のご紹介

佐藤養助 総本店

稲庭うどんの製造工程、ネットショップ紹介

亀城庵

うどんレシピや亀城庵のこだわり紹介

五島饂飩の歴史  五島饂飩の発祥は、遣唐使往来の時代

遣唐使船
「五島手延うどん」の歴史を紐解くと、いろいろな説があるようですが、五島列島は、遣唐使の寄港地で、東西文化の重要な中継点でもあったことから、遣唐使の時代に、五島列島に伝わったと言われています。
また、近年の研究からは、五島うどんは、「岩坦索麺と五島うどんの製法が極めて酷似していること」から、中国・浙江省永嘉県岩坦地区に伝わる索麺が五島うどんのルーツではないか?との説が有力視されております。
いづれにしても、麺文化は、大陸から伝来されたということは間違いがありません。
五島列島は、大陸中国をルーツとする麺伝来の路であり、日本の「麺ロード」の拠点でもあったようです。
そういう意味では、五島列島は、日本の「うどんの里」ということができるのかもしれません。
千年以上の遥か昔、上五島に伝来した手延麺の製法が上五島の風土に根付き、長い時間の流れとともに、島に生きる人々の間でしっかりと伝承され、さらに島人の知恵と工夫とが加味されて、現在の「五島手延うどん」となっています。
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